印刷が終わったあとのアルミ版を回収にきたトラックの荷台を何気なく見ると、活字が詰まった箱が目にとまった。どこかの印刷会社から不要になったので引き取ってきた活字棚だ。今の若い人なら何とも思わないだろうが、私にはとても懐かしい光景を見てしまった。
私がこの会社に入社した当時は我が社にも活版工場があり、職人さんがこんな活字の詰まった箱から活字をひろっていた。今では考えられないことだが、字の大きさが決まっているだけでなく、1つの字が用意されている数もそれぞれ限りがあるという編集、組版するものにとっては何とも不自由な環境だった。たまに工場長から「字が足りなくなったから活字を買ってきてくれ!」と言われて、たった1字の活字を買いに走ったこともある。
不自由な環境でも一つひとつが職人さんのプロの仕事で見事にきれいな組版に仕上がっていく。そこに印刷会社、職人さんの誇りがあった。今はパソコンで誰でも何でも自由に組版できるようになったが、自由すぎてとんでもなく小さい読めないような文字を平気で使う。とても不自由だったが活字はまさに文化といえる、私にはいい経験、いい思い出になった。
“活字文化”という言葉は聞いたことがあっても本物の“活字”を見たことのない人のためにちょっと写真を撮っておきました。
職人さんはこんな活字棚のたくさんの文字の中から素早く文選していたと感心します。文字によって用意されている数が違うのが分かりますね。
文字がひっくり返って組版してしまわないよう、活字の下面と底面に溝があります。
回収品の中に活字を組版したものがありました。紐で縛っていますが、年月でかなり変色してます。